キャプテン

ワールドカップが終わりました。
冷静な分析にかける過熱報道がうっとおしくて、
テレビからは遠ざかり気味でした。
ニュースがサッカー報道になるとチャンネルを変えるほど。
そうして、ブラジル戦のスコアも試合終了後24時間以上知りませんでした。


そんなことはどうでもよいのですが、巷の「中田はイチローになれなかった」発言を受けて
ちょっと考えたことを書き留めておきます。

キーワードは「キャプテン」


4年前の日韓W杯のときにも、私は素朴な疑問を持ちました。
チームの柱だ、最重要選手だと言われている中田選手が、なぜキャプテンではないんだろうな、と。


その時は、中田がまだ若いということや、海外チームにいることでなんとなく納得しておきました。

そして今回、30歳間近(のはず)の中田選手は、キーパーソンだ柱だといわれていましたが、
前回と同じく、キャプテンではありませんでした。


大会前報道の中では、中田選手が他のメンバーと如何にコミュニケーションを取って
みんなをまとめて引っ張っていけるかがポイントという話題をよく耳にしましたが、
彼があれほど実力を言われながら、キャプテンに指名されないことで、すでに結論が出ていると思いました。


そもそも、中田選手がキャプテンでないことを、マスコミ等が問題視していないことに、
私は違和感を感じていました。
4年間たっても、日本代表のキャプテンになれる器に、中田選手が成長しなかったということを
皆がすんなり受け入れている状態自体が、問題ではないのだろうかと。
(中田寄りで見れば、中田をキャプテンに推すような状態に国内サッカー環境が成長しなかったという状態が問題ではないのだろうか。)


もちろん、プレイヤーとしての実力だけがキャプテンを決めるポイントではないでしょう。
ですから、ベッカムがUKチームのキャプテンに指名されたとき、私は少なからず驚きました。
私の勝手な印象で、ベッカムは海外チームに入ってしまったし、マスコミでも派手に悪目立ちしすぎて、
イギリス国内からはキャプテンに相応しいと思われていないようなイメージがあったからです。


今も、私はベッカムのキャプテンとしての資質は知りませんが、
現実として、ベッカムはキャプテンに指名され、中田はキャプテンに指名されませんでした。


私は中学の部活動(テニス)で、実力ではせいぜい3,4番手なのに、一番まじめにやっていて、
部活動の仕切り(=雑用)ができそうだからという理由でキャプテンをやらされました。
アクのある同級生の中で、テニスの実力を求心力に使えない無力感を何度も味わいました。
ですから宮本選手に同情するくらいです(宮本選手を貶す訳ではありませんが、抜きん出ているとは言いがたいでしょう)。


もちろん、チーム内コミュニケーションの原因が中田にのみあるとは思いませんし、
彼の日本人らしくない厳しい態度は、個人的には肯定的に感じています。


ただ、今の日本の実力では、W杯は『キャプテン中田の下に一丸となれる』くらいの状態にチーム全体が成長していないと、
勝ち抜ける実力ではなかった、ということだと私は思っています。


中田の「勝ちたい」という気持ちは強く、彼なりのやり方で呼びかけていたようでしたが、他の選手の共感を呼ぶやり方ではなかったのかもしれません。
団体競技の難しさとしかいえないのでしょうか。